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スタッフがつづるエッセイ。「スタッフの雑記帳 銀座四丁目」

「丹と医心方」 2007.03.05
明治のカリスマ常備薬

「宝丹の角を曲るとまた一人芸者が来た。これは背のすらりとした撫肩の恰好よく出来上った女で、着ている薄紫の衣服も素直に着こなされて上品に見えた」(夏目漱石「吾輩は猫である」 岩波書店)

ここに出て来る「宝丹」とは、当時、東京の池之端にあった薬店のことを指しています。

「宝丹を出して飲みました。いつも難儀をするとこの宝丹が役に立つが、これは大阪の渡辺市兵衛の奥さんが出立の時分に送ってくれた。それがまあこういう時に、こうも役に立つかと思って大いに悦びました」(河口慧海「チベット旅行記(1)」 講談社)

明治末、僧にして仏教学者であり探検家でもあった河口慧海(1866〜1945)は、鎖国下のチベットヘ佛教の原典を求めて単独に潜入を試みました。その時、日本から持参した主な常備薬が、宝丹、丁子油(ちょうじゆ)、カンプラチンキでした。氷河をハダカで泳ぎ渡った際や雪山での遭遇時に、丁子油で全身を防寒し、気付けに宝丹を飲んだとのことです。

慧海が愛飲した宝丹はこの時代は家庭の常備薬であり、万能薬とされていました。ルーツは江戸時代で、守田治兵衛(1841〜1912)という前述の薬店の創業者が、オランダ人医師ボードイン(1822〜1885)の処方を参考に製造したと言われています。

おしろいの功罪!?

宝丹の「丹」を辞書でひくと、「不老不死の薬」といった意味とともに、「赤い色を持った辰砂(しんさ)(丹砂、朱)」とも記されています。辰砂は天然産の硫化水銀であり、使い方によっては有害となるので注意が必要です。また、古代の医学書にはこうした水銀のほかに鉛、砒素、硫黄、銀などの物質の服用方法が解説されています。

これらの元素は、比較的作用が強いので、実用するには細心の配慮が求められます。例えば、昔、化粧に使用されていた白粉(おしろい)は鉛白であったので、人体に有害でした。とくに鉛白粉による慢性鉛中毒は有名で、胃の激痛、吐き気、関節痛、筋肉痛などの激しい中毒症状に苦しんだといいます。それでもノビ、ツキ、ノリのよさから、長い間使われていました。

「その声は旅鴉の如く皺枯れておったので、折角の風采も大いに下落したように感ぜられた」。「振り向いて見るのも面倒、懐手のまま御成道へ出た」と、「吾輩は猫である」の苦沙弥先生は述懐しています。

素肌のうなじが初々しい和服女性が前を歩いていたら、思わず足早に駆け抜け振り返ってみたいのが多くの男性の本音です。その時、目の前を歩いていたのは白粉を塗りたくった年増だったのでしょうか。苦沙弥先生を失望させたこの芸者は、厚く塗ったこの鉛白粉の副作用で、皺枯れ旅鴉声であったのかもしれません。(K)